Yuuka

私のHPのトップにある「月かげ」についてお話ししました。
私が生まれたのは浄土宗のお寺です。浄土宗はお念仏をよりどころとしておりますので、私も小さい頃より住職のお念仏を毎日聞いたり、自分も自然とお唱えをしたりとお念仏に親しんで育ちました。
もちろん本堂に入れば必ず阿弥陀仏さまの前に正座をして南無阿弥陀仏とお念仏をお唱えしますが、その他にも例えば運動会や試験で頑張れますように南無阿弥陀仏。嬉しい事があって感謝の気持ちが溢れて南無阿弥陀仏。悲しい事があって助けてくださいとすがる思いで南無阿弥陀仏。美しい夕日を眺めて南無阿弥陀仏など。その時の思いは、きっと言葉では言い表せない大いなるものがいつも私を見守ってくれていて、お念仏を唱える事でいつでもそれとコンタクトがとれるのだと信じていたのです。今思うとお念仏は生活の大切なパートナーでサポーターでもありました。


浄土宗のお念仏は苦しみの娑婆世界からお救いくださる阿弥陀様の名を呼び、助けたまえとお願いし、お浄土へ往生を求め、心を込めてお唱えします。この時期浄土宗寺院ではお十夜の法要が行われております。これは1010夜にわたり絶えず念仏をお唱えして、阿弥陀さまのお慈悲に感謝する法要で、ご参加のみなさまはお念仏の尊さを知り、阿弥陀さまの救いを信じて南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏とお念仏に励んでおられます。



浄土宗の宗祖・法然上人が、阿弥陀さまの大いなる慈悲を月の光に託された「月かげ」という歌を今日はご紹介させていただきます。
     月かげの いたらぬさとは なけれども ながむる人の 心にぞすむ 
月の光はどんな場所も分け隔てなく照らして下さいますが、私たちがその月の光に気づかず、また眺めようともしなければ、私たちの心の中に届くことはないのです。その月の光に気づき、月を仰いで感謝する心が湧き起こった時、はじめてその月の光が私たちの心に尊く澄み渡るのです。
それと同じように、阿弥陀さまの光明もすべての人々を分け隔てなく照らして下さいますが、その光明に気づき、阿弥陀さまの救いを信じてお念仏を称えた時、はじめてそのお守りをいただいて、光明に照らされた心安らかな日々を送ることができ、その救いにあずかってお浄土への往生を叶えることができるのです。




さて、仏教より長い歴史を持つヨガ、今では健康体操のイメージが強いですが、ヨガの古代の聖典を紐解いていくと4つのヨガのスタイルがあったことがわかります。
一つ目は今の私たちがやっているハタヨガ身体を動かすヨガの源流であるラージャヨガ
二つ目ははカルマヨガ。行いのヨガ。見返りを求めない思いやりのある行為の実践
三つ目はニャーナヨガ、知恵のヨガ、聖典の学習や、自分を知るための学び
そして四つ目ははバクティヨガ、バクティとは帰依、信仰、献身のヨガとも訳されます。
浄土宗はまさにこのバクティヨガに通じるものがあります。
バクティと聞くと、母親と子供の姿が思い浮かびます。母親は自分の子供に絶対的な献身を尽くし、無上の愛を注ぎます。子供はというとその母親の愛に完全に守られ、頼り、包まれていると感じるのです。しかしひとたびその謙虚な心が失われると母親の与えてくれる光に気づくことができず親子一つになることができなくなるのです。私たちは大人になってからもそんな愛情と安心感を求めています。しかし忙しく過ぎていく日々に中でゆっくりと月を眺めその光に感謝をする心を備えている時はどのくらいあるでしょうか。




月かげの いたらぬさとは なけれども ながむる人の 心にぞすむ 




月を愛でるとても良い季節になりました。心にゆとりをもち生活したいものです。
ヨガをすることで身体が健康になり呼吸が整い心も落ち着きます。
そして何よりもヨガは自分と向き合う時間であり、その静かな時間に深い信仰心が培われ、心が豊かになっていきます。
それではヨガの実践を初めて行きましょう。

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