Yuuka

今回はシャバーサナについて


ヨガの最後におこなうシャバーサナ、気持ちがいいですよね、この季節は特にみなさん深い眠りに入られて、寝息が聞こえてきたり、ちゃんと起きてくれるかなーと心配になったりします。
このシャバーサナはヨガのポーズを練習した後に必ず行っていますが、どんな意味があるかご存知ですか?毎回5分程度行っていますが、うまくできると約2時間の睡眠に匹敵するほどのやすらぎの効果があります。一度シャバアーサナをせずに練習を終えたことがありましたが、その後疲労感が1日残ってしまい、大切さを思い知らされました。








さてこのシャバーサナ、お休みのポーズというイメージが強いかもしれませんが、実は「屍」ストレートに言うと死体のポーズということを意味しています。
いかがですか?ちょっと怖いですね。なぜ屍のまねをしなければいけないのか。と思っちゃいますよね。実はここには仏教とも繋がる深い理由があるのです。









「屍」とはなんでしょう。私たちの身体はいずれ朽ち果て「屍」となります。こればかりは逃れることはできません。たとえ生きている間に沢山の地位や名誉、財産を築き上げたとしても、最期はそれを持って行くことはできません。全てを手放す他ないのです。では、所有しているものを全て手放した時どんなことが起きるでしょうか?
それは持っている「物」だけでなく、「私」の身体も心もまるごとです。

物を手放す。なんでも抱え込み過ぎるのは苦の始まりです。物への執着、こだわり。物を抱え込みすぎると身動きが取りにくくなり、本当に大切なものを見失ってしまいます。断捨離という言葉も流行りましたが、手放す事でスッキリして心も軽くなりませんか?



では「私」自身を手放すとはどういう事なのでしょうか?







仏教の中に「無我」という教えがあります。これは一言で言えば「我(が)」がないということ。
私たちはついつい「私が私が」と何でも自分の手柄にし、自分さえ満たされれば幸せだと思ってしまいがちです。しかし皆が同じ思いで網を引き合えば、そこには争いが生じ、苦しみが生まれます。自分への執着が強ければ強いほど、取られたらどうしよう傷つけらどうしよう・・と苦しみも深まってしまうのです。
私たちは一人でここに存在している訳ではありません。
すべては他のものとの関係によって成り立っています。実は全てが繋がっていて、周囲と複雑に関わり合い、支え合って、そして常に変化を繰り返しながら存在しています。ですので「私は私、ずっと変わらない」と思ってしまいがちですが、不変なものや他から独立して存在するものなど何ひとつありません。













仏教では「私」を境界線ととらえます。その境界線が無くなることを「無我」と言います。


















その無我の世界を深く理解し自覚することで仏教における最高の悟りの境地である「涅槃」に至る事が出来るとされています。涅槃というのは煩悩の炎が消滅した安らぎの平和な世界。シャバーサナはその世界を少しだけ垣間見ることが出来る、いわばプチ臨死体験、プチ成仏(仏に成る)体験とも言えるのではないでしょうか。


ただ寝るポーズではないのです笑。ですので実はふか~い瞑想のポーズなのです。

皆さんは今日はどんなシャバーサナが出来ましたか?
今度会った時に聞かせてください(^^)





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オーガニックライフ東京✨

やさしい陰陽ヨガ
〜光と影ノムコウ〜




ご参加のみなさん
素晴らしい時間をありがとうございました✨




皆の笑顔と集中力で
たくさん元気をもらいました✨
久しぶりに会えた方もいて
嬉しかった^ ^





肝臓モミモミもやりましたね♫




ペアヨガも盛り上がった〜



UTLシスターズ
アイコandユキエ

素晴らしいデモンストレーション
ありがとう✨




テンション上がりました✨



面白ヨガ写真も!




小百合さんも久しぶり💓





ありがとうございました✨
















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